敵機来襲を知らせるサイレンが鳴った。
このごろ、毎日、敵機が上空に現れ、爆弾を落としていくのだ。

あたしは、旋盤で発動機(エンジン)の軸(シャフト)を削っていた。
「チヨちゃん、油やって」
あたしは、同い年の高橋チヨに切削油をバイト(旋盤の刃)あたりに掛けろと命じる。
摩擦熱を減じるために油を掛けて冷やすのだ。
チヨが脚立に座って、薬缶ぐらいある油さしから切削油をバイトの接点付近に流す。
キュ~ン、シュルシュルシュル・・・・
バイトが軸に噛み付き、切り粉が勢い良く軸の表面から生まれ出す。
「なおぼん、早よ、防空壕に行こ」
チヨが不安そうに促す。
「これ、削ってからな。まだ、大丈夫やって。どうせ、港の方を爆撃して帰りよるだけや」
そんな確証はなかったけど、あたしは、仕事を中途でやめるのが嫌だったのでそう言った。
ここの工廠(こうしょう)は「アツタ」という液冷式航空発動機を作っている。
銃後で働く者のほとんどが女だ。
日本の戦争は、もはや瀬戸際だった。
ミッドウェー戦役からこっち、大本営の発表は「転進」につぐ「転進」で、「戦功、芳(かんば)しくなし」という雰囲気だった。
それだけならまだしも、本土は空襲にまみれ、ここもそう長くな無いだろうと思えた。
「神風(かみかぜ)」という敵艦に飛行機が爆弾ごと突っ込む作戦が企図されているらしいことも、あたしたちは聞いている。

ドオン、ドオンと比較的近い場所で爆発音がとどろいた。
照明が消え、旋盤が止まってしまった。
「あれ、停電かいな。もう」
あたしは重いノギスで軸の直径を測り、同心度の公差が規格内になっているか確認していた。
軸受けに挿入しやすいように、ややマイナス目に削っている。
停止釦(ボタン)を押して、あたしは、仕方なしに避難の支度をする。
釦を押しておかないと、次に電源が復帰した時に旋盤が動き出すので危ないからだ。
あたしとチヨは、壁にかけてある防空頭巾をかぶった。

B-29の金属的な爆音が耳鳴りのように聞こえてきた。
高度は1万メートルを超えているだろう。
日本の高射砲など届きはしない。

あたしたちが、女の手で作っている「アツタ」は艦載爆撃機「彗星」に積まれるものだった。
ハ-40として陸軍も三式戦闘機「飛燕」に搭載しているものとさして変わらない。
液冷式の発動機を搭載した飛行機は流線型でとても軽快そうに見えるので、あたしは好きだった。
でも、冷却液の漏れや故障が多い上に、発動機自体が重いなどの数々の問題を抱えていた。

「アツタ」はドイツのダイムラー・ベンツ社からのライセンスを得て作っていると工場長から聞いている。
ここにあるDB-601の手順書もドイツ語のものを日本の技師が和訳して説明を加えているものだった。
ケーシングやコンロッドなどの部品もあたしたちが組み立てる。
鋳物部品が多いので、とても重い。
鎖滑車(チェーンブロック)で発動機を吊り上げ、架台に据え付けて組むのだ。
女学生の手を借りて作る「転がり軸受(ベアリング)」の精度が出ておらず、「アツタ」は故障続きだ。

あたしはなおも、暗がりで、バイトや工具を箱に仕舞い、ノギスを作業台の抽斗(ひきだし)に入れた。
「なおぼん、もうあかんて。逃げよ」
チヨは、もんぺ姿に男物の国防服という出で立ちで、あたしの国防服のすそを引っ張る。
「わかったって。ほな行こ」
その間にも、ドンドンと高射砲だか、爆撃の音なのかわからない振動が建物をゆさぶった。

工場から出ると、火薬の匂いやら焼夷弾の油の燃える臭いが鼻を突いた。
西の方角が夕焼けのように赤い。
上から見るとコの字形の工廠の建物の中庭に防空壕の入口がある。
大人でもしゃがんで入らないといけないくらい、間口が狭い。
前田工場長や班長の橋口圭子も先に来ていた。
技師長の上野さんもいる。
ランタンに火がともされ、みんなは防空頭巾を被って、身を潜めていた。
工廠はアメリカにとって格好の目標なのだ。
爆撃の音が近づいてくる。

あたしは、旋盤を技師長の上野佐兵衛から教わった。
愛知航空機からここの工廠に転属してきた五十がらみの男だった。
「横山は筋がええ。女にしては飲み込みが早い」
そう、お褒めの言葉を頂いて、依頼、あたしは女旋盤工として銃後の守りを自負してきた。

防空壕の中で、あたしは技師長に会釈した。
上野さんも目で合図する。
暗がりは人いきれで苦しかった。
迫り来るような地響きが下腹部に伝わる。
どぉ~ん
かなり大きな爆発音が頭の上で炸裂した。
「うあっ」
皆、声を出して伏せた。
壁土が剥がれて落ちてくる。
「工場に落ちたんやろか」
となりのチヨが泣きそうな顔で言う。
あたしは、
「250キロ爆弾かな。近いけど・・・」
とつぶやいた。

ものの半時間ほどで解除のサイレンが鳴った。
あたしたちは、ぞろぞろと蟻のように穴から出てきた。
もうもうと煙が立ち、トラックヤードが破壊されている。
あの震動は、やっぱり至近弾が炸裂したのだ。

「チヨちゃん、もうお昼やな、お弁当にしよか」
「うん」
すすだらけの顔でチヨもうなづいた。
チヨとあたしは水師高校の三年生だった。
第十一航空工廠の労働者が大量に必要なために、三年生になったとたんに、あたしたち女学生が徴用された。
男の子は兵隊に取られていった。

あたしたちは、工場にもどると、旋盤の横で、持ってきた弁当代わりにサツマイモのふかしたのを食べ始めた。
木箱に、クランクや軸受けの残部品が乱雑に放り込まれている。
どこもかしこも、油まみれだった。
「なおぼん、昼から冷却液の管を切るのをやるわ」とチヨが言う。
「ああ、あれ急ぐんやったな」
もぐもぐと冷たくなった芋を食いながら答えた。
アツタの冷却液のゴム管のことである。
ふつう冷却液にエチグリ(エチレングリコール)を使うと、ダイムラーの仕様書にはあるけれど、日本は物資不足のために純水を使うのだ。
水を冷却に使う場合、ポンプで加圧して送ることから水漏れを頻繁に起こす故障が相次いでいた。
パッキンも不足している。

来週には「彗星」十五機が出荷されるのだ。



週明け、試験飛行を見に来ないかと工場長の前田さんからさそわれた。
不思議と、あれから空襲はぴたっと止んでいる。

この工廠には一本の滑走路が備えられていて、出来上がった飛行機を試験する事が出来る。
滑走路の西の端には深緑の塗装も真新しく、白い縁取りで真紅の日の丸が鮮やかに浮き上がって、十五機の「彗星」が給油を受けていた。
果たして、松根油を変性した粗悪な燃料でエンジンがかかるのか?
彗星十二型
(彗星十二型Wikipediaより)
秋晴れの空の下、次々にエンジンが始動される。
幸い、エンストはせずにアツタの澄んだ音色があたしの耳にも届いた。
見送るのはあたしたち女学生ばかり。
中にはハンカチや帽子を振って離陸する飛行機を見送るものもいる。
自分たちの手で作った飛行機が大空を舞うのだから感慨無量だった。

テストパイロットは二人で、かなり年配の兵隊さんだった。
一人は杖をついていて、傷病兵のようだった。
もう、こんな人しかいないのか・・・
「横山、おまえ、下村少尉を手伝ってこい」
工場長がとんでもないことを言う。
下村少尉とは、あの杖をついているパイロットだった。
「え?あたしが」
「ああ、行って来い」
あたしは、喜んで「彗星」のほうに走っていった。
「少尉殿、お手伝いいたします」
少尉は、
「おお、すまんな。足が不自由なんで、乗り込むのが一苦労や。ちょっと手を貸してくれるか」
「はい」
脚立に片足ずつかけて、ゆっくりと登っていく。
プロペラが回っているので強い風が吹き付けてくる。
翼の上にやっとのことで二人して上がり、前の座席に進む。
あたしが肩を貸して、少尉を操縦席に座らせた。
「あんた、名前は?」
「横山といいます」
「この飛行機を作ったんやな、その細い手ぇで」
「はい、アツタのシャフトを作りました」
「女の旋盤工か。立派なもんや。どうや、横山君、後部座席に乗ってみんか?」
「え?乗せてもらえるんですか」
「彗星は複座や、乗ってみ。ご褒美に空の旅をさせてやる。もし、エンジンが止まったら、お前の責任やけどな。ははは」
「乗りますっ」
あたしは後部座席にすべりこんだ。
「横山、風防を閉められるか」
「はい」
がしゃりと風防を滑らせて、閉じた。
やかましいアツタの音は小さくなった。
「いくぞぉ」
少尉が、彗星を前に進めた。
ゆるゆると彗星が滑走路を走る。
外の景色が後に流れていく。いよいよ飛ぶのだ。
あたしは、初めての体験に心が躍った。
三点支持で後にもたれ気味だった身体が、速度が上がるに連れて二点支持となり、ふわりと機体が浮き上がった。
「うわっ」
不安定な離陸だったが、すぐに工場のコの字型の建物が眼下に小さくなっていった。
「どうや、初飛行は」
「最高です!」
「怖くないか」
「いいえ」
「しょんべん漏らすなよ」
「はい」
上昇限度まで一気に上がり、工廠上空を一回りする。
「アツタはええ感じやで」と少尉
「ありがとうございます」
あたしは、自分たちが作った機体に誇りを持った。
アメリカに負ける気がしなかった。

この「彗星」がまさか特攻機として爆弾を抱えて散る運命だとは知る由もなかった。
1944年秋のことだった。

その翌年にはここに新型爆弾が落とされ、この無謀な戦いに終止符が打たれることになる。