一九四五年初夏・・・
もうすぐ七月と迫った折りも折り、出来たばかりの海軍航空隊の大社基地(現島根県出雲市)に一人の男が赴任してきた。
男は増田善信と云った。
気象技術官養成所(気象大学校の前身)の学生だった増田は、突然、この真新しい基地に招集された。
地元の小学生まで動員して急ごしらえされ、形だけセメントで舗装された広場は、飛行場だそうだ。
数十機の真新しい『銀河』が翼を休めていた。

銀河
(写真は銀河十一型、ウィキペディアより)

増田も、まぢかで新鋭の爆撃機を見るのは初めてで、心躍るものがあった。
ただ、我が国の戦局は思わしくなかった。
東京も大阪も空襲に見まわれ、増田も米軍が近海に迫ってきていることを肌で感じていた。

『本土決戦』・・・そんな言葉もささやかれていた。
沖縄近辺では米海軍が押し寄せてきているとかで、この基地もそれに備えたものと聞き及んでいる。

直属の上司ではないが、鈴木耕平中佐が銀河航空隊の指揮官だった。
増田は、その航空隊のために気象予報を行うのが任務で、少尉の身分を与えられていた。


気象状況が悪いと、航空燃料の浪費につながるので、出撃を見合わせるかどうか、瀬戸際の判断を中佐が下すために増田の任務は重大な責務を負うていた。
「燃油は血の一滴」
その言葉を口が酸っぱくなるほど、中佐は口にした。
いや、中佐だけではない。
どの佐官でも同じことを言っただろう。
また、この時期、南方では熱帯低気圧や積乱雲の急成長が出来始めるころで、そんな中へ不用意に爆撃機が呑み込まれると、機体もろとも木っ端微塵にされてしまいかねない。

南西諸島付近の制空権は米軍に奪われつつあった。
そして、銀河による米艦船への攻撃は夜間に限られていた。
したがって、増田が攻撃隊幹部や操縦士に行う気象説明は夕方になる。


滑走路の隅に小屋があり、その中の黒板の前で増田が気象図を貼り付けて説明するのが日課となっていた。
操縦士たちは真剣な眼差しで増田の説明に聞き入っている。
気象予報が「問題なし」という判定されると、隊長が「かかれ!」と号令をかけるのだ。
その一声で兵員は、駆け足で滑走路を走りぬけ、銀河に搭乗するのだった。
増田は、この攻撃が、万に一つも生きて帰って来られないという「現実」を、ここに来て目の当たりにしていた。
もう、数回、出撃したまま、帰ってこない銀河の多いこと・・・
当初、五十機はあった銀河がみるみる減っていくのだ。

そして、最近、見なれない飛行機が運び込まれてきてもいた。
飛行機にしては小型で、魚雷か新型の爆弾のようでもあった。
決定的に魚雷と異なるのは、「操縦席」が備わっていることだった。
短い翼がとりつけられ、それは宇宙にでも旅立つ乗り物のようにも思えた。
うわさでは「桜花」といって、銀河に吊り下げられて、敵艦の近くまで飛んでいき、そこで切り離されるとロケットに点火し、猛スピードで敵艦に突っ込む特攻機だというのだ。
増田は目を背けずにはいられなかった。

七月も半ば、増田は東シナ海の方面の天気図を、作成していた。
梅雨前線は北上し、日本列島はまだ雨模様だったけれど、沖縄は梅雨明けしていたとみられた。


天気図に拠(よ)れば今日の攻撃は、問題なく遂行されそうだった。
十八時ちょうどに増田少尉は、いつものように気象説明を小屋で始めた。
小屋はもう、隊員たちの熱気で蒸し風呂状態だった。
「日本列島はまだ梅雨前線の影響があり、北九州から豊後水道付近に停滞前線が・・・都井岬以南では晴れ、奄美、東大東島にかけて大きな高気圧の勢力範囲にあり快晴と考えられます」
「雲底は?」
「前線付近で九百メートルです」
「よし、かかれ!」
隊長の大橋大尉が声を上げた。
わぁっと、隊員たちが小屋を飛び出し、待機している銀河に向かう。
このうち、何機が帰ってこられるだろう。
増田は暗い面持ちで見送った。

米艦船は種子島沖にまで進出してきていた。
出雲を発った銀河隊は、豊後水道を南下し、宮崎の都井岬を越えると、日本軍機の無線も届きにくくなる。
かすかな無線が途絶えた時には、撃墜されたことをほぼ意味していた。
夜間に銀河は海面すれすれの低空で米艦船に近づき魚雷を発射するのだが、圧倒的な対空砲火で、銀河は接近することすらできない。
次々に、墜落し、海の藻屑となっていった。

夜半、非常にかすかな無電が大社基地に入った。
夕方発進した銀河からのものだった。
「奄美大島の北東、前方に積乱雲を確認した。やむなく引き返す」
だった。
「積乱雲だと?おい、増田少尉を呼べ」
鈴木中佐が気色ばんで、大橋大尉に命じた。

「おい、増田少尉!起きろ。中佐殿がお呼びだ」
増田は寝入りばなを起こされて、何がなんだかわからない状態だった。
すぐに、上着を整えてあたふたと大尉の後ろに続いた。
「増田、入ります」
「貴様、予報を間違ったな。友軍機が積乱雲に遭遇して引き返すと言ってきた。なけなしの燃料なんだぞ、いつも言うておるのがわからんのかっ!」
頭ごなしに怒鳴られ、増田は縮み上がった。
「はっ。し、しかし、私は予報を間違うようなことをしておりません。奄美付近には雲ひとつなかったはずです」
増田には自信があった。
「きさまぁ!」
増田は殴られるのを覚悟して、目をつぶって歯を食いしばった。
しかし、殴られなかった。
「さがれ」
静かに、鈴木中佐は言った。

増田は腑に落ちなかった。
一夜、まんじりともしなかった。
早朝、件(くだん)の銀河が滑走路に無事、着地したのを、うらめしく見ていた。
もう一度、天気図を取り寄せようと鹿児島の鹿屋(かのや)基地に電話をかけた。
直ちに、速達で天気図を送ると、増田のような任務の基地付き予報官が手配してくれた。


二日後、零式輸送機で他の郵便物と一緒に増田の手元に鹿児島から速達便が届いた。

小屋の、ぼろぼろの机に届いた天気図を拡げる。
「おかしい。どう見ても、気圧の谷のない海上で積乱雲が発生するだろうか?」
満を持して、その日の午後、再び中佐の部屋を増田は訪(おとな)った。
「入ります」
「ああ、君か」
「差し出がましいとは存じますが、過日の私の気象予報の見解を述べさせていただきたく・・・」
「もういい。もういいんだよ。増田君」
「え?もういいって・・・それでは私が」
要領を得ない増田を制して、鈴木中佐が続けた。
「帰ってくることもあるんだよ」
そう、言って、増田の肩を叩いた。

増田は、すべてを理解した。
自分の正しさを主張するあまり、航空兵の命の叫びを読み取れなかったことを恥じた。
「誰だって死にたくないんだ。恐怖のあまり、嘘をついてでも生きていたいと思うことがあるんだ。少佐殿はそのことをご存知で俺に叱責したんだ。なのに俺は・・・」

その夜、中島中尉という航空兵が増田を呼び止めた。
あの帰還した銀河の搭乗員だった。
「すまん、少尉。迷惑をかけた」
一言、彼は詫びた。そして・・・
「あの、増田さん、これを預かってほしいんだ」
はにかむように、二通の封書を手渡して、中尉は去っていった。


そのうしろ姿を増田は、敬礼しつつ、あふれる涙で見送っていた。
手には、『父上様、母上様』、『静子へ』と表書きのある封書が残された。

中島機は、その晩、増田の気象予報を聞いて再び夜空に消えていった。
今晩も、南西諸島付近は晴れの予想だった。
銀河には、白い「桜花」が吊るされていた。

そして、中島機を含む、十機の銀河隊はことごとく帰らなかった。

戦後、桜花作戦はことごとく失敗し、尊い若い命が失われたことが明らかになった。


重い桜花を積んだ銀河は、そのまま撃墜され、元も子も失う悲劇を招いた。
増田はそのことを聞くたびに胸が締め付けられる思いがして息が苦しくなった。

増田は復員の途中、中島中尉のふるさとの富山県を訪れ、悲しい報告をすることになってしまった。

このお話は本日付(2014.12.7)毎日新聞朝刊一面の記事(川上晃弘記者)を参考に、フィクションとして創作しました。
増田さん以外は架空の人物です。また、大社基地の桜花は使われることなく終戦になったそうです。

明日は開戦記念日です。
黙祷