窓の外はどんよりと重い曇り空だったが、ノゾミのいるオフィスは電話のベルがひっきりなしに鳴っていて活気に満ちていた。
医療機器商社『メディワン』の再生医療チームにノゾミは所属していた。
再生医療とは、患者の生体組織を培養して、失われた部分に移植して文字通り再生させる医療技術である。
近年は、「培養」を患者体内で直接行う方法が注目されている。
たとえば、事故で耳介を失った患者に、他の部分の軟骨を細断したものを「足場」という耳介の形をした生体適合繊維でできたものに播種(ばらまくこと)してそのまま患者の耳を再構築するというものだ。

ノゾミは故郷の福井県からここ京都市にやってきてもう四年が過ぎようとしている。
最初は会社の女子寮に入っていたけれど、すぐに中京区にマンションを借りて一人暮らしになった。
あまり女子寮に長くいると、居心地が良くなって「行き遅れる」というジンクスがあったからだ。

去年、八つ下の弟、ヒロキが京都工芸繊維大学に入学し、ノゾミのマンションで同居している。
仕送りを節約するというのが名目で、ノゾミも仕方なしに受け入れた。
四年間だけのことだと思い…

しかし、一つ屋根の下に年頃の姉と弟が一緒に暮らしているというのはいろいろ不便もあった。
ノゾミは会社の、ひとつ上の先輩、佐倉慎吾と付き合っていた。
営業マンの佐倉にくっついて、大学医学部やら、薬品会社の研究機関やらを回ってそのノウハウを学んでいるところだった。
二人だけで出張ということもよくあり、次第に親密になり、体を許す関係になってしまった。
まだ、結婚をお互いに考えてはいなかった。
ノゾミにとって佐倉が最初の男ではない。
福井での大学時代に、つきあっていた稲田という男が最初だった。
稲田は卒業とともに、父親の繊維加工会社を継ぐために隣県の金沢に残ってしまった。
そのまま没交渉となり、今では年賀状も届かなくなってしまった。

佐倉は仕事熱心というより、要領が良かった。
仕事を「しているふり」がうまく、上司に受けが良かった。
そういう意味では、女遊びも要領がいい。
佐倉にはノゾミ以外にも、肉体関係にある女が社外にいるが、ノゾミはまったく気づいていない。

その女は、横山尚子(なおこ)といい、佐倉のマンションに転がり込んできた女だった。
佐倉の遠縁にあたるこの同い年の女とは腐れ縁で、当時中学生だった佐倉の童貞を奪い、彼を性の虜にした毒婦だった。

佐倉が優柔不断に尚子の体を貪り、尚子も「好き者」ゆえにその求めを許した。

そんな佐倉が、社の部下に手を出すのは時間の問題だった。
ノゾミは尚子とは対称的なスレンダーな体型で、どこか中性的な雰囲気を持っていた。
佐倉にとって、ノゾミは新しい「玩具」だった。
そんなことをつゆほども知らないノゾミは、佐倉に惹かれつつあった。

「津村、今晩どう?アダモで」
ノゾミは、職場では佐倉から苗字で呼ばれている。
アダモとは、七条通に面したカフェバーである。
いつもノゾミたちは、そこを待ち合わせの場所にしていた。
ノゾミは京都リサーチパーク(KRP)で開催されるセミナーからの帰りにそこで落ち合うことにした。
KRPは再生医療の専門機関を擁し、府内では唯一の産学連携の窓口と言えた。

七時過ぎに、ノゾミは「アダモ」についた。
一番奥の席に、もう佐倉が座って、新聞を読んでいる。
「佐倉さん」
「おう、早かったやないか」
「うん、タクシーがすぐつかまえられたから」
コートを椅子にかけて、ノゾミが佐倉の対面に座った。
「めし、まだやろ?」
「うん」
「ここで、食っていこう」
「うん」
イタリアンが美味しい店なのだった。
クリスピーピザとボンゴレロッソ、ワインをグラスで頼んだ。
「今日は、遅くまでいいのかい?」
「いいわよ」
コケティッシュな笑みで応える。

ノゾミは佐倉に抱かれ、どこかで翻弄されることを期待している。
自分がそんなに感じられるなんて、稲田のときにはまったく思わなかった。
ただ、はやく終わって欲しいとしか思わなかった。
ところがどうだ。
佐倉のツボをわきまえた技は、ノゾミを何度も頂点に導いた。
ノゾミにとって恐ろしいくらいだった。

食事が終わって、すぐにタクシーを捕まえ、祇園に走らせた。
祇園にふたりがいつもいくラブホテルがあった。

八坂の鳥居前でタクシーを降りて、あとは徒歩で目的地に向かう。

「いつものとこやけど…」
「わかってるって」
二人はネオン街の人混みに消えていった。

ノゾミが自宅マンションに帰ったのは十一時を回っていた。
佐倉にいたぶられて、もうくたくただった。
ドアノブを回すと、開いた。
弟が先に帰っているのだ。
「ただいまぁ」
返事がない。
そのかわり、なにやらけとばしたか、つまづいたような音がして、
「痛っ」
と聞こえた。
ヒロキが慌てているようだった。
「なにしてんのん?鍵かけてないし、もう」
ノゾミがパンプスを脱ぎ、コートを脱ぎながら廊下を行く。
「あ、ああ、姉ちゃん、おかえり」
「なにしてたん?真っ暗にして」
「ね、寝てたんや」
「ふうん」
ノゾミは壁のスイッチを押して、明かりをつけた。
「鍵はちゃんとかけてちょうだい。不用心でしょ」
「はぁい」
ヒロキが素直に返してきた。
いつもは、反抗的なのに。
ノゾミはこの八つ違いの弟を、子供扱いしていた。

ふと足元に、ティッシュの団子が落ちている。
「なぁに、こんなとこに」
ノゾミが拾うと、ずっしりと湿っている。
「いやっ」
ノゾミは声を上げた。
ヒロキが振り向いて、口を大きく開けている。
「そ、それは」
「ちょっと、あんた、ここでマスかいてたんやろ?」
図星だったようだ。
ノゾミは、匂いでわかった。
さっきも佐倉に口の中に出されたところだった。
何も言えないヒロキは、ばつがわるそうに、自分の部屋に戻っていった。
一部屋、彼のために玄間の隣の三畳間を与えていた。
ノゾミはそのカタマリをゴミ缶に放り込んで、
「自分の部屋でしなさいよ。もう」
と聞えよがしに言った。

ノゾミはそう言ってから、なんだか弟が可哀想になった。
彼女もいないのだろう。
あんなに幼かった弟も男として成長を遂げていたのだ。
若い男なら、自慰行為なんか当たり前で、むしろ健康な証拠だった。

しかし、歯を磨いているとき、もっと大変なものをノゾミは洗濯物の中から見つけることになった。
精液で汚されたノゾミのショーツだった。
無造作に丸められたそれは、明らかにノゾミがしたものではない。
「あいつ…」
姉の下着で自慰をするなんて。
でも、ノゾミはその汚れた部分を鼻に近づけた。
「ああ」
青い男性の香りが、ノゾミの鼻をくすぐる。
ノゾミは、精液の香りに欲情するタイプだった。
佐倉との性行為が蘇った。
ノゾミは、また、じわりと性器が湿ってくるのを覚えた。

コンコン…
ノゾミがヒロキの部屋をノックする。
「起きてる?」
「え、あ、ああ」
「入っていい?」
「いいよぉ」
がちゃりとノブを下ろしてドアを開けるノゾミ。
反対の手には、件のショーツがあった。
「ヒロキくん、あんた、姉さんの下着にいたずらしたでしょ?」
ぴらぴらとショーツを振りながら、ノゾミが弟を問いただす。
「うわ」
驚いたのはヒロキの方である。
「あほやねぇ。バレバレやんか。なぁ、前から聞こうと思ってたんやけど、あんた、彼女とかおらんの?」
「お、おらん」
「陰気やもんなぁ、あんた」
「ほ、ほっといてぇな」
「ほっとかれんな、こんなことする子は」
「ごめんや。ごめん」
平謝りする弟を、おもしろがってノゾミが見下ろしている。
ノゾミは、血を分けた弟が不憫に思えた。
「ヒロキ、お姉ちゃんの寝間においで」
「え?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔でヒロキがノゾミを見る。
奥のDKに布団を敷いてノゾミは寝ていたので、そこに弟を誘った。
「お姉ちゃんが、教えたげよ」
「何を?」
「セックスやんか。したいんやろ?」
「…したい…けど」
「けど、何なん?」
「近親相姦やで」
「むつかしこと知ってんねんな。そやからどやっちゅうの?コンドームしたらかまへんやんか」
ヒロキの顔がぱっと晴れて、
「そ、そやね。ほな、姉ちゃん、やらしてくれるんやね」
「やらしたげるから、もう高い下着を汚さんといて」
「わかった。えへへ」
可愛らしい弟だと、ノゾミは思った。
別に黙ってたいたら、誰にも知られないことだ。
それに、禁断のセックスがどんなものか、ノゾミは好奇心もあった。
ヒロキのおちんちんなんか、小学生の頃以来見てないから、見てみたくもあった。

(つづく)