府警本部捜査一課の詫間重夫(たくましげお)課長は、R命館大学法科大学院の刑法・刑訴法研究室に柳瀬豊(やなせゆたか)助教授を訪ねた。

柳瀬は、府警本部長の要請で、犯罪者プロファイリングを委託されていた。
彼は、刑法の専門家であるけれども、犯罪心理学にも造詣が深く、それに関して論文も数本、著書も共著を含めて十冊を超え、警視庁からも意見を求められる立場にあった。

痩せて腺病質の柳瀬は、五十前の独身男で、いつもイライラしているように詫間には映った。
対照的に、鷹揚な詫間は、まったく気にしていないという風で立ったまま、室内の本棚などを眺めていた。

「すみませんね、詫間さん、こんな夜にしかお時間が取れませんで」
部屋に入ってくるなり、柳瀬は高い声で詫間の後ろ姿に声をかけた。
壁の時計は夜の九時半を指していた。
「ああ、わたくしこそ、突然におじゃまして」
「どうぞ、おかけになってください」
「では、失礼」

しばらく時候の挨拶を交わし、潮時を見て詫間は、携えてきた茶封筒から冊子を取り出した。
書面には極秘とある。
「先生、あのサイバーテロ事件の犯人像なんですがね」
「これが資料ですか?ちょっと拝見」
「皆目、検討がつかないので、先生のご意見を聴かせていただきたく馳せ参じました」
ぺらぺらとせわしく助教授は資料をめくっている。

「サイコパスですね」
「は?」
「この容疑者はサイコパスですよ。典型的な」
詫間は要領を得ない顔をして、助教の目を見た。
「反社会的精神異常者とでもいいましょうか。クレペリンが端的にサイコパスを定義しています」
おもむろに立ち上がった柳瀬は壁の本棚から厚い本を抜き出してめくった。
詫間が背表紙をチラリと見ると、柳瀬の名があった。

「これです」
示されたページには「空想虚言癖」とあって、

1.博学な自分を妄想し、知識を顕示するものの、その知識は浅学で、他人の受け売りばかりである。
2.弁や筆が立ち、理路整然・当意即妙の技巧に長(た)け、専門用語を多用する詭弁家である。
3.詭弁家であるがゆえに、人心を操り、人から尊敬されること、もしくは耳目を集めることを熱望し、そういう自分を想像して陶酔する。

などとあった。

「こういう人物像が横山尚子だとおっしゃるわけですね?」
「まあ、そうです。ときに、詫間さんは、この横山をどんな風に見ておられます?」
「前にしょっぴいた連中の話だと、食えないババアだと言ってましたね。のらくらと、どうでもいい話しかせず、ほぼ完全黙秘でした。結局証拠不十分で釈放になったんですがね」
にがにがしい顔で、詫間が答えた。
「ほんとうに、それが横山尚子だったんでしょうか?」
「はぁ?」
「わたしは、横山尚子は○○だと考えているんですよ。ほら、彼女のブログに、自分は法人だというような記事がありましたね。この人物は、かつて司法書士を目指して勉強したようなことを書いており、おそらくそれで法人格に魅力を感じた…」
「ああ、男でも女でもない存在だと、自分を評してましたな」
「だから、捕まえた自称横山尚子は別人だったんじゃないですか?」
「そんな…たぶん主婦だと思うんです。ブログの記事の書き込みの時間が、勤め人ではないようだし」
「そんなもの、記事の公開予約をすればなんとでもなります。たぶん○○ですよ。あなたがたは、初動で人物像を誤った。だから迷宮入りなんじゃないですか?」
ニヒルに笑みを浮かべて柳瀬は詫間を見据えた。
今度は、詫間が額に汗をにじませている。

詫間は顔を手でつるりと撫でると、柳瀬のデスクを見た。
「すごいパソコンですね」
そこには三台のデスクトップパソコンと、タブレットが見えている。
液晶モニターは横長でびっしりと文字が並んでいる。
「ええ、論文や本の原稿を同時に書いているのですよ」
そう言えば、IT関係の書籍もずいぶん、本棚に並んでいる。
それに何に使うのか、JISや物理、化学などの学術書まで並んでいた。
「こういったものも研究に必要なんですか?」
詫間が驚いた表情で、本棚を指す。
「ええ、まあ。法律バカでは仕事にならないんですよ。今は情報化社会ですから、「法テラス」のアプリなんかもわたしが関わっているんです」
「ほほう」
「化学や薬学もおやりになる?」
「法医学関係でね。ま、わたしのことはいいでしょう。ほかに何か?」
柳瀬は明らかに不快な表情を浮かべた。
「いえ、おじゃましました。先生のお話を持ち帰って、捜査の見直しをいたしたいと思います」

暗くなった、大学のキャンパスを歩きながら、詫間は柳瀬の言った「○○」を反芻していた。

あなた、あたしが「○○」だなんて、いいとこ突いてるわ。
柳瀬豊、恐るべし…