まぶしい光跡を引いて、今日も宇宙(そら)にシャトルが消えていく。
トワイライトの夜空を裂くように、轟音とともにシャトルは昇っていった。
雲間を通して、閃光を透かすように見えるのが美しかった。

ショータはプレアデスの丘に立ち、あこがれと、あきらめのないまぜになった気持ちで、今日もそれを眺めていた。
ポカンと開いた口の端からは、時としてよだれが伝うこともあり、そういう時は、あわてて手の甲でぬぐうショータだった。

今年、2110年は宇宙に人類が移住をするようになって二十五年の節目の年であり、ショータの住むオオサカの街でもあちこちでイベントがあった。
アワジ・シャトル・ベース(AWSB)はオオサカ湾とアワジ島の間にできた人工島であり、人々は、ここから宇宙のコロニーに旅立つことができた。
このAWSBも完成から二十年も経っているので、ショータが生まれた時にはすでに存在していた。
カンクウという人工島からもそれはよく見える。
カンクウは四十三年前に南海地震で津波にやられ、壊滅的な打撃を受けたが、その後十二年かけて復興した。
しかし、空港を運営する会社は多額の借金のために解散してしまい、その後は空港として使われることがないまま土地は売りに出され、ショータの住んでいるような高層住宅が林立することになった。
プレアデスの丘はそのカンクウ島の南端に造られた自然公園にあるのだった。

ショータは、夕闇の迫る丘を下って家路についた。
「ただいまぁ」
「おかえり。どこ行ってたの」母さんが電磁調理器で何かを煮ている。
「公園だよ」
「またぁ?」
それには応えずに、ぼくはリビングでお父さんが寝転がってテレビ画面を観ている後ろを通って自分の部屋に入った。
今時のお金持ちは、こぞって宇宙コロニーに移り住み、薄汚れた地球を捨てていく。
ネットテレビでの宣伝も、会員制宇宙開発の勧誘やら、月面ドーム都市の分譲やら、宇宙への引っ越しサービスなどばかりだった。
ショータの父親も「いいなぁ」とため息を漏らしつつ、画面を眺めている毎日だった。

最近、ショータの周りの友人も、一人減り、二人減りと、夜明けの星のように消えていく。
彼らは、ショータに気を遣ってか、何も言わずに去っていくのが常だった。
そんなことをされると、ショータはかえって取り残された思いが強くなるのだった。

「サエタも、自分はコロニーになんて行かないと言っていたのに、行っちまった」
ショータがつぶやいた。
イマモリ・サエタは配信学級のクラスメイトだった。
いつも回転型ゲーム「サパリック」で組む仲だった。
回転型ゲームをやりすぎると、小脳が委縮すると言われているのだが、一度ハマるとやめられない。
ほかに落下型ゲーム「チャンク」があるが、だんぜん「サパリック」のほうが面白い。
でもサエタはこっそり宇宙に旅立ってしまった。
どこのコロニーに行くのかも告げずに。
「友達ってそんなもんかよ」
ショータはゲーム機のヘッドセットを脱いで、何度目かのため息をついた。

「ショータ、あなた来年はミドルスクールなんだから、ゲームばかりやってないでお勉強しなさい」と、お母さんにいつも叱られる。
プライマリスクールの生徒が十四になるとミドルスクールに自動的に上がるのがこの国の決まりだった。
それは誕生日の翌日からスタートするのでみんなまちまちに進級する。
配信学校制度とはそういうものなので、校舎というものがない。
毎週、土曜日にスクーリングといって、オオギマチのEDCドームでアスレチックと習熟テストを受けるのが義務だった。
お父さんは、シャトルの燃料を作る会社で働いているけれど、月の半分は家にいる。
だからお給料も少ない。
お母さんは、だから宇宙引越センターのパートタイムで働かないと食べていけないのだった。

ショータには気になっている女の子がいた。
同じ配信学級にいる子で、いつもスクーリングで一緒になる子だった。
タカヤス・ナオコという名前だった。
スクーリングのアスレチックでいっしょにスカッシュをやったり、ボルダリングをやったりしているうちに仲良くなった。
いい匂いのするナオコの髪は、ショータをぼうっとさせた。
スポーツウェアをわずかに揺らす胸や、形のいいブルマーのライン、ケラケラと屈託なく笑うナオコにショータは恋をしていた。
ショータもそろそろ大人の体になりつつあった。

「ナオコには好きなひとがいるんだろうか?」
どうしてもそんなことを考えてしまう。
「そんなやつがいたら、いやだな」
嫉妬心が湧きおこるのを、ショータは禁じえなかった。

それよりも、ナオコがほかのやつと同じように宇宙のどこかに消え去ってしまうことになりはしないかと不安に駆られた。

あるスクーリングの土曜日、昼食を食べているときにショータはナオコに思い切って訊いてみた。
「ナオちゃんは、宇宙に引っ越すってことはないのかい?」
サンドイッチをぱくつきながらナオコは、
「うーん、ないと思う。ずっと先にはどうかわかんないけど」
ひとまず安心だった。
「ショータには、そんな計画あんの?」
「ないない。うちなんか百年たっても無理さ」
「あはは。オオサカも住めば都よねぇ」
なんて、大人びた口調で笑った。ナオコは幼稚園に入る前くらいにトーキョーから引っ越してきたと、ショータに話したことがあった。
その笑顔がなんとも愛くるしく思えた。

「あ、あの…」
「なぁに?」
覗き込むようにナオコが訊く。
「ナオちゃんには好きな人とかいるの?」
そういうと、ナオコは目を丸くして、
「い、いないよ」
「ほんと?よかった」
「え?」
「じゃあ、おれが好きになってもいいんだね」
「うはっ」
ずっこけるようなそぶりで、ナオコは驚いた様子だった。
「それって、コクってるわけ?」
「まぁ、そうだけど…おかしいか」
「どうリアクションしていいか、あたし、わかんなくって…つまりその、うれしいけど」
「いやなら、いいけど」
「いやじゃないよ。やっぱ、シンケンにうれしいよ」
慌てて、ナオコが取り繕った。
そして、今度はまっすぐにショータを見て、
「ありがと。こちらこそよろしくです。えへっ」
と、答えていつもの笑顔を見せた。
ショータは、小躍りしたいような気持だった。
男子十人の友よりも、一人のガールフレンドに勝るものはないとまで思うのだった。

タカヤス・ナオコの両親はネヤガワに住んでいた。
ここには、巨大シェルターが建設されていて、もう五十年近く地下に都市が広がっている。
きっかけは今は中国の一部になっている「北朝鮮」が軍事大国だったころに、米韓と戦闘状態になり日本が標的になった「東海戦争」からだ。
シェルターラッシュとでもいうべき時代で、あちこちに地下都市が作られた。
リニアモーターカーの路線も地下に潜っているのはそのせいだった。
核戦争にこそならなかったが、通常弾頭による攻撃で名古屋と大阪の一部が被害を受け、約五千人が亡くなったのである。
ナオコの父親がシェルターの空調技師で、大手のアスカ・リミテッドに勤めているのだそうだ。
トーキョーから越してきたのは、ナオコの父親の仕事の都合だったのだろう。
いずれにしても、ショータの父とは天地の差の巨大企業に勤めているナオコの父だった。
だから、何度かナオコにショータのほうがお昼をご馳走になったくらいだった。
「いいのよ。あたし、ほかにお小遣い使うことがないから。遠慮しないで」などと言って、学生食堂でおごってもらっていた。
男が女に施しを受けるのは、ショータとて潔しとは思わないのだが、いかんせん、お金がないので甘えていた。
ナオコもショータの家の事情をよくわきまえていた。
やはり同年代だと女子のほうが早く大人びるものなのかもしれなかった。

オオギマチからウメダ界隈でナオコとデートするのが土曜日の放課後の楽しみになった。
「しかし、人がいないね」
ショータが地下道を歩きながらナオコに話しかける。
ここ数年で、オオサカの人口は三分の一に減ったそうだ。
「しかたがないよ。みんな月やコロニーに行っちゃうんだもん」
「ナオの家は、移らないのか?」
前にも訊いた疑問をぶつけてみた。
「わかんない。父さんは、ほとんど家に帰らないから」
「へぇ。忙しいんだね」
「ショータ、いいじゃない。あたしたちだけでも、ここに残ってさ、アダムとイブみたいにあたしたちだけの世界を作っちゃえば」
「そ、そうだね」
ショータは赤くなった。
それは自分たちが夫婦になって、子孫を残すってことなのだから。
くるくる回りながらナオが人気(ひとけ)のない地下道を楽しそうにステップを踏む。
「ね、ショータ」
マジな顔でナオコがショータを見つめ、柱の陰に誘った。
「キスしよ」
「あ」
ナオコが突然、ショータの唇に自分の唇を寄せた。
長い時間が過ぎたように思えた。
人のぬくもりを唇に感じながら、ショータはナオコを抱きしめた。
さっき食べたバニラアイスの味がした。
ナオコの乳製品のような香りが汗ばんだ首筋から立ち上り、ショータの幼いペニスが硬さを増してきた。
ナオコが下半身を押し付けて、ショータの高まりを感じようとしているようだった。
ふいにショータを、力の抜けるような快感が襲った。
何かが、自分の中から飛び出すような…
怖くなって震えながらナオコに抱きつくショータだった。
「あっ」
「どうしたの?ショータ」
「でちゃった」
「何が?」
「わかんないけど、トイレ…」
「あ、ごめんね、あたしが、あんまり押し付けたから…」
ナオコは知っていた。
男の子がそうなることくらい。

すぐ斜め前に男子トイレが見えたので、ショータは変な歩き方で中に入っていった。
ナオコもばつの悪そうな表情でその背中を見送った。

洋式便器に座って、パンツを見るとどろりとした薄黄色い液体がたっぷり付着している。
青臭い匂いが鼻を突く。
「うひゃあ、これって…」
いくら子供っぽいショータだってわかった。
ただ、精通したのは今日が初めてだったのだ。
とにかくトイレットペーパーでできるだけ取り除いて、便器に流した。
冷たかったが、仕方なく、パンツを上げた。
おもらしみたいで、気持ち悪いショータだった。

「やぁ、まいったよ」
「ほんとに、ごめんね」
「ナオが謝ることないよ。これでおれも大人になったってわけ」
「おめでとう」
そう言ってナオがウィンクしてくれた。

夏のオオサカ湾がまぶしい。
ショータとナオコはプレアデスの丘の斜面の草原に並んで寝そべっていた。
もう、何度かここにナオコを誘ったショータだった。
蜃気楼でAWSBが海から浮き上がって見えている。
閃光と白煙が突如、蜃気楼から上がった。
ずいぶん遅れて、爆音が雷鳴のように轟く。
もうその時には、光の矢は雲のない蒼穹に吸い込まれ、飛行機雲のような円弧の軌跡を残してシャトルが行ってしまった。

しばらく会話の途切れていた二人だった。
ただ風だけが通り過ぎて行った。

「してあげよっか」
ナオコがいたずらっ子のように歯を見せて、汗の浮いた鼻の頭を向ける。
ここは低い灌木が小さな木陰をつくっていた。
ショータの返事も待たずに、ナオコは彼のズボンのファスナーを下げ、パンツの合わせ目から細い指を潜り込ませる。
ショータは目をつむってされるがままだった。
ペニスはすぐに反応して、だんだん硬さを増し、ナオコの手のひらの中でそそり立った。
やわらかい海風が勃起を撫でる。
ショータが前に教えたように、心地よい速さでナオコの右手が上下した。
「あ、あっ」
少年はじきに、射精の時を迎え、青い香りをまき散らした。
「ふふっ。良かった?」
上気した声でナオコが訊く。
「うん」
恥ずかしそうにうなずくショータだった。
ポーチからティッシュペーパーを出して、姉のような態度で始末をするナオコだった。

そして、また遠雷のような轟音とともに一条の光跡が夏空を裂いた。
「ああ、また行ってしまうよ」
「宇宙ってどんなところなんだろうね」
「きっと、俺たちなんか、虫けらに見えるんだろう」
「そうかもね」

二人はいつまでもシャトルの引いた雲を見上げていた。