病院のICUの待合室であたしはまんじりともせず朝を迎えた。
執刀医の説明では、夫の祥雄はワーファリンの長期服用による脳血管脆弱で脳内出血を起こし、左脳の大部分を損傷したということだった。
彼の一命はとりとめられたが、これからの生活は百八十度変わるだろう。

今一度、整理してみる必要があった。
あたしが狙われているのは確からしい。
それが在日の同級生、金明恵とその父親の金達吉の差し金だとすると、朝鮮総連が絡んでいることは確かだ。

そして、さらには、北朝鮮政府、金王朝の関係者が指図しているのだろう。

しかしあたしのような一日本人の女が、たいして彼らの秘密をつかんでいるわけでもないのに、消したがるのは解せない。

あたしが狙われるひとつの理由は従弟の高安浩二の失踪に関することではなかろうか?
浩二は東京で、金明恵に会っていた。
そして浩二は消息を絶った。
1990年ごろのことだろうと思われる。
あたしの知っているのはそれだけだった。

まずは浩二のことをもっと知らねばならないと思った。
あたしは、今から思えば、彼のことをまったくと言っていいほど知らないのではないか?
なのに、会えばいっしょに星田の野山を駆け回り、ほのかな恋心を互いに抱き合い、ついには好奇心から幼い体を重ね合った。

あたしは伯父、つまり父の横山高雄の兄であり、浩二の父親である高安正雄を訪ねた。
大阪府交野市星田に伯父は祖父の家を受け継いで住んでいた。

「ああ、尚子ちゃん、久しぶりやな」
伯父はすっかり老け込んで、真っ白な頭をして縁側に座椅子を持ち出して日向ぼっこをしていた。
「今日は、おばちゃんも、だれもいはらへんの?」
「ああ、病院に行ってる。目がかすむ言うてな」
「ふうん。浩ちゃんからまったく連絡ないねやろ?」
「ないな。もうあきらめた」
「そんなん言わんといたってぇな。あたしは忘れたことないねんで」
「尚子ちゃんは、いっつも浩二のこと気にかけてくれて、あいつも幸せもんじゃ」
「前から訊こうと思ってたんやけど…」
「なんや、あらたまって」
「浩二の名前って、なんで「二」なん?一人っ子やろ?」
伯父は、はっと言うような表情をした。
「訊いたらあかんことやった?」
「いや、そういうこっちゃないねん。実は…浩二の上にもう一人息子がおったんや」
「え?」
あたしは、初耳だった。
「ほら、お墓の、おじいちゃんの横に小さい石仏が置いてあるやろ。知らんかな」
「ああ、覚えてる。お墓参りのときに、掃除したりしてた。あれ、お墓なん?」
「そうや浩一と名付けた、浩二と一つ違いの兄や。尚子ちゃんはまだ一誕生(ひとたんじょう)になってなかったな」
「浩ちゃんと同い年で、あたし早生まれやから」
おかしいな、浩一と言う子が生まれて一年たたずに浩二が生まれるかな?
十月十日に満たないなんてな…未熟児やったんかもしれんな。
あたしが考え込んでいるのを目ざとく伯父は察して、
「月数が合わへんと思てるやろ?」
「え?」
「もう話してもええかもしれん。浩二はわしらの子やない。幸子(おば)は浩一を産んで、二度と子供を産めない体になってしもた。浩一は脳に奇形があったらしくすぐに死んでしもた。そやから浩二は貰い子なんじゃ」
「だれの?」
「横山の」
「あたしのお父ちゃん?ほんなら浩二は弟やんか」
あたしはびっくりして大きな声を出してしまった。
あろうことか弟とあたしは初体験をしてしまったのだ。

「いや、倫子さんとの間の子やないねん。高雄がある女に産ませた子で、その…育てられん事情があって、わしらがもらい受けたんじゃ」
「半血(はんけつ)兄弟ってわけやね。いとこやなくって」
「そう言うのかな。つまりは腹違いの姉弟やな」
司法書士試験の勉強をしていたとき、民法の家族法のところで出てきた事例だった。
まさか自分の身に起きているとは。
それにしても、父は不倫の子を、兄夫婦に預けたわけだ。
母は知っていたのだろうか?
だいたいどこの女に産ませたのだろうか?
「その女の人はだれなん?」
「言われん」
伯父は、そのまま固く口を閉ざしてしまった。

あたしは、しかたなく伯父の家を辞した。
とはいえ、あたしにとっては収穫だった。
浩二が、実の弟だったということだ。
ならば、ますます、会いたいと思うのだった。
もし苦しんでいるのなら助けてやらねばならないと思うのだった。

あたしの父は少々ややこしい事情があって、本家の「高安家」を出された人間なのだ。
このことは生前の父から聞いていた。
父、高雄は高安八三郎(やさぶろう)の次男であり、中学を卒業して大阪の樹脂加工会社の徒弟に出た。
兄の正雄と同じ高校に行きたくないというのが表向きの理由だったらしいが、悪い友達といっしょに遊び倒していて、八三郎に「そんなら働いて一人前になれ」と言われて働きに出たらしい。
当時の樹脂加工界は高度成長期の特需で、今までにない近代的な職種ということで人はいくらでも欲しいという業界だった。
ポリバケツや洗面器、歯ブラシの柄、椅子、ラジオやテレビジョンの筐体(きょうたい)など、作っても作ってもきりがないくらい需要があったのだ。
のちのオイルショックで樹脂原料の石油がタイトになるまで、経験の乏しい若い職工でも左うちわの生活だったらしい。

ところで、高安家は京都の横山子爵家と昔から懇意にしていた。
八三郎の父、奈良造(ならぞう)、そのまた父、栄沈(えいぢん)法師という僧籍の人物が横山栄太郎子爵・元滋賀県議の左腕として瀬田地区の土地改良や治水に力を尽くしたという。

その横山家の嫡男が途絶える事態が招来し、八三郎が、頼りない次男を横山家に養子に出して嫡男とすることに協力したのだ。
その後、高雄は横山姓を名乗り、性(しょう)に合わない樹脂加工会社を辞めて、割のいい土方(どかた)のあっせん業に手を染め「口入屋」としてピンハネで生活をし出した。
自分はしんどい思いをしないでお金が入ってくるのだから、笑いが止まらない。

あたしの母、上條倫子と知り合ったのは、父が「口入屋」をしていた時で、当時、通っていた門真の映画館でのことだったという。
これは母に聞いたのだが、父はやくざ映画と西部劇が好きで、その映画館に日参していたらしい。
時間の不定な仕事だったらしく、時間つぶしに映画を観るのが父の日課だったようだ。
映画館でモギリをやっていた母は、何度もやってくる客の高雄が、けっこうダンディに決めていたので声を掛けたりしているうちに、食事に誘われたり、誘ったりして仲が深まったと言っていた。
父母のなれそめは、東京五輪特需、のちの大阪万博特需で土方が引く手あまただった頃と重なる。

父は、以後定職に就くことなく、いかがわしい「口入屋」をしながら、倫子と同棲はじめ、形ばかりの婚姻届けを門真市に提出してそこで家を借りて生活を始めた。
もうそのころには子爵家の横山家とも疎遠になっていたらしい。
横山家の嫡子なんだから、もう少しましな生活もできただろうが、もはや横山家自体が没落の一途をたどっていて借金まみれだったそうだ。
そういう嗅覚の鋭い父は、早々に横山家との関係を断ち切ったのだろう。

時を同じくして、父の弟、高安周(たかやすめぐる)が大阪府立大学の電気工学科に受かったので、交野から堺の中百舌鳥(なかもず)まで通うのがしんどいからと、門真の高雄夫婦の借家に転がり込んできたのもこのころだったらしい。
昔の借家は、棟割り長屋でも、けっこう広々としていたのだ。

そうすると、あたしが母のお腹にいた同時期に、父はほかの女も孕ませていたことになる。
それであたしが生まれ、半年後に浩二がその知らない女から生まれた。
父は女との関係を清算するために、生まれたばかりの赤ん坊を、子を亡くしたばかりの兄夫婦の養子にしたのだということだ。
伯父夫婦は、亡くなった「浩一」の弟ということで「浩二」と名付けて養子縁組をした。
謎の女は、そのまま姿を消したのだろうか?
こればかりはわからない。

浩二やあたしが北朝鮮の人間に追われる理由ははっきりしないままだった。