年が明けて1941年、フランスの政権がヴィシーに移ってからというもの、ナチスのレジスタンス狩りが一層激しくなった。
あたしはイヴォンヌ・ナオボンヌ(Ivonne Naobonne)。
「マキ(抗独派)」の「ジャンヌダルク」とひとは呼ぶ。

エレーヌ・ブーシェに見込まれて、飛行機の操縦士になったけれど、エレーヌはコードロン機で墜死してしまった。
ドイツに攻められてパリは陥落し、停戦となり、フランス空軍の軍属だったあたしはそのまま、ドイツ空軍の空輸任務につかされ、ポテ631や偵察機の同63.11およびドイツ空軍のメッサーシュミットBf-110をヴィシーまで数十回にわたり空輸した。
そのあいだに、ユダヤ人に対するナチスのひどい仕打ちを見るにつけ、あたしは言いようのない憤りを感じていた。

あたしは非番の時間を利用して、パリの「ムーランルージュ」に出入りした。
そこでは、ナチスの下士官に混じって、レジスタンスの男たちも酒を飲んでいるのを見知っていたからだ。

ある非番の日の夕方、幼い子をつれたユダヤ人の母親がナチの憲兵に連行されるのを見て、あたしは何もできない自分に歯噛みした。
その日、あたしは空軍の制服は着ずに、町娘みたいな恰好で、前から目をつけていた男に近付いた。
今日こそ、レジスタンスに参加しよう…
もう、我慢ができなかった。
あたしは、両親をプロヴァンスに残していた。
しっかり者の弟がいっしょだから心配なかった。

「あなた、独り?」
男は怪訝そうな顔で、あたしを見る。
だいぶ酒が入っているようで目が座っている。
「お酒いただいていい?」
「ああ」
眠そうな目で、うなずいたようだった。
コニャックをグラスに注ぐと、あたしは彼の目の前にそれをかざし、飲み干した。
ポカンとした顔の男は、おもむろに尋ねた。
「君は、こういうところで酒を飲むのか?」
それには答えずに、
「あたし、フランソワーズっていうの」
「おれは、ジャンだ。ジャン・ルブラン…」
どうせ偽名だろう。
「あなた、リセの先生?」
「いや」
「その校章」
あたしは彼のジャケットの胸についているバッジを指さした。
彼はあわてて、襟からそれを取った。
リセとはフランスの高等学校である。
パリのどこかのリセがレジスタンスのアジトになっているというのを聞いたことがあったから、もしやと思い尋ねてみたのだ。

彼の前にはペーパーバックの『神々は渇く』が置かれている。
「アナトール・フランス」の著作がレジスタンスの仲間の「印」だったのも、あたしは調べていた。
だから、近づいたのだ。
「あのね…仲間に入れてほしいの」
「ここじゃ、まずい」
彼は残りのコニャックを干すと、あたしを促した。

シャンゼリゼ通りまで来て、細い路地を折れ、汚いカフェーに入った。
「まあ座れよ」
あたしは、くすんだマホガニーの椅子に掛けた。
「ここなら大丈夫だ」
周りを見回して、用心深くジャンは言った。
「グレナディンを二つ」
ジャンは、カウンターの男に注文をした。
「君は、我々のことをどこで嗅ぎつけた?もしやナチの手先ではないだろうな」
「ち、違うわ。あたしはたまらないの。ナチにあたしたちやユダヤの人々が踏みにじられるのを。だから、あなた方のことを調べて、今日、声をかけたの」
あたしは信用を勝ち取ろうと一気にまくし立てた。
ジャンはニヤニヤしてあたしの話を聞き入っていた。
「まぁ、いい。わかった」
そこへ店の男が赤いグレナディンの満たされたグラスを二つ持ってきた。
「あたし、本気よ」
「乾杯だ」
ジャンは微笑みながらグラスを挙げた。

ジャンは自分から歳は三十を超えたところだと言った。
あたしより五、六は上のようだった。
もとはリセの数学教師だったが、偏向教育の科(とが)でナチの息のかかったヴィシー新政権に職を追われたらしい。
それからは酒浸りの生活で、しかし同じ教師仲間とレジスタンス活動に参画するようになったのがつい最近だという。
「結婚はしていないの?」
「していないが子供はいた」
「お相手はいたんだ」
「おれがこんなになって、母親とその子はブルターニュに疎開した…というか別れた」
「あたしはね…フランス空軍の軍属なの」
「なんだと?それじゃあやっぱりヴィシーの手先か」
ジャンが気色ばんだ。
「やめて」
あたしはさえぎった。
「そうじゃないの。そうじゃないのよ。あたしは利用されているだけなのよ」
「どういうことだ?説明しろ」
「あたしはフランス空軍のパイロット養成学校にいたわ。飛行機が好きでね」
「ふん」
ジャンが甘いグレナディンを口に含んだ。
「それで単発機と双発機の免状をもらったとき、去年の五月だった…ナチスがフランスに侵攻してきた」
「ああ」
「あたしたちは兵隊じゃなく、軍属のパイロットとして軍用機を運ぶ任務につかされたのよ。そして今も、パリ郊外からヴィシーに飛行機を運んでる」
「今日は非番ってわけかい?」
すこし優しい表情を取り戻したジャンだった。
「あたしね、もう辞めたいの」
「パイロットをか?」
「うん」
「しかし、もったいないな」
「でも、ナチの手先は嫌」
「わかった。その腕をレジスタンスに貸してくれ」
「そのつもりよ」
あたしは、目を輝かせていたに違いない。

その日にさっそく、「地下組織」に連れていかれ、首魁(しゅかい)に目合わされた。
首魁のルイ・ダランベールは六十がらみの学者風の男だった。
「飛行機をあつかえるのだな」
「はい」
「頼もしいの。女だてらにの」
いかにも嬉しそうに相好を崩してダランベール師は笑った。
「われわれは、ヴィシーをいずれ叩く。しかしそのためには準備が必要だ。フランス軍はヴィシー軍とレジスタンス軍に分断された。連合軍に与(くみ)してナチとヴィシーの連携を断ち、虐げられている人民の先鋒となるのじゃ」
目が慣れてくると、この部屋には相当数の武器弾薬が置かれていた。
ドイツ軍のものもあり、米英のものも散見された。

あたしは、誓約のコニャックを交わし、ナチとヴィシーへの決別を誓った。
連絡の取り方や符丁、当面はあたしの立場を利用して仏空軍に深く潜入して情報を流すことを任された。
ジャンがあたしの目付け役になった。
「裏切りは死を意味するぞ」
ジャンは別れ際に、釘をさすことを忘れなかった。
あたしは空軍の官舎に何食わぬ顔で戻ったのである。