アラン・モリエールは釈放された。
が、しかし、体はズタズタにされ、青息吐息だった。
歯も一本、ぐらぐらになっている。
しかし、精神は研ぎ澄まされていた。
やつらへの憎しみと、
イヴォンヌ・ナオボンヌへの愛と…
「あいつが危ない…あいつの親兄弟が…危ない」
アランは拷問の苦痛に負けてイヴォンヌの行きそうな場所や彼女のふるさとのプロヴァンスのことなどを吐いてしまった。
打撲で腫れた足はひびでもはいっているのか、ひどく痛んだ。
とにかく、アランは古巣の空軍基地に向かった。

その日、パリの空軍基地からヴィシー行きの輸送機「タンテ ユー(ユーおばちゃん)」の愛称を持つJu-52が郵便配達に飛ぶことになっていた。
操縦士は同僚の、ジル・ボードワン少尉だった。
詰所に出頭したアランを見て、伍長や曹長らが駆け寄った。
「どうしたんですか?その傷」
「だれに?」
口々に問われるのを遮って、
「あの、タンテに乗せてくれ。そしてヴィシーに連れて行ってくれ」
必死の形相で懇願するアランを見て、皆は尋常でないことを悟り、彼の言うとおりに取り計らった。
機長のジルが話を聞いて飛んできた。
「アラン!なんという姿に…」
絶句するジルに、かろうじて笑みを浮かべて、
「イヴォンヌが危ない。ゲシュタポに捕まったら殺される」
「あの子、マキ(抗独派)に行っちまったんだろ」
「ヴィシーにいる。だから…乗せてくれ」
「わかった、おれにつかまれ」
マキの片棒を担げば、同罪だ。
しかし、親友の愛した人をナチスの餌食にするわけにはいかない。
ジル・ボードワンもまた、日ごろからのナチスの横暴に憎悪が高まっていたのだった。

かくして「タンテ ユー」は定刻に飛び立った。
深手のアランを乗せて。

アランがどうしてイヴォンヌの動向を知っていたのか?
アランは返事を書かなかったが、イヴォンヌがしばしば潜伏先から手紙を彼によこしていたのだった。
その消印はいつもさまざまだった。
あるときはスイスからのものもあった。
人に頼んで出してもらったのかもしれない。
文面には彼女のやさしさがあふれてい、アランももらい泣きすることもあった。
「一緒に最初に飛んだ時のこと、覚えてる?」
とか、
「二人で観た夜空の星に手が届きそうだったね」など…
空輸は夜間飛行も多かったのだ。
夜間飛行は有視界飛行ができないので、山岳部を避け広い平野部を回り、夜明けを待って山間のヴィシーに至ることになる。
ジルと三人でパリに帰ってきたこともあった。
そして三人で酒場に繰り出した…
楽しかったあの頃。
いつごろからか、イヴォンヌの表情が曇りがちになった。
「ナチスが許せない」
小さいが、はっきりとそう聞こえた彼女の独り言。
その前には連行される幼子を連れたユダヤ人の母親がいた。
「おれも行けばよかった」
アランがつぶやいた。
「そうだよ。おれも除隊してマキに行けばよかったんだ」
心地よい揺れの「ユーおばちゃん」のお腹の中で、アランはまどろんだ。