日曜の朝、目覚めてすぐ、寝床でしばらくじっとしていた。
珍しく「朝立ち」していたのだ。
いささか尿意もあり、それが手伝って「勃起」しているのかもしれない。
こういうときは、さっさと小便に行くことだ。
四月とはいえ、まだ肌寒かった。
首を曲げて見た目覚まし時計は、7時10分を指している。
枕もとにマクルーハンの『人間拡張の原理』が伏せてあった。
春休みの間に単位をくれなかった保科先生から、読んでみろと渡されたのだった。
読んだところで単位をもらえるわけでもなく、ただ、保科先生はおれに妙に親しげなのだった。
歳は三十半ばの若い助教なのだが、フォークギターを研究室に持ち込んでいて、音楽談義ではおれと話が合った。
ジョン・デンバーやバエズ、サイモン&ガーファンクル、それにパット・ブーンがお気に入りだということだ。
おれにはちょっと古すぎるきらいがあるが、それでも知らない歌手でもなく、知っている歌もいくつかあった。

「お兄ちゃん…起きてんの?」
ふすまの向こうで、早苗の声がした。
「おお、今、起きたとこや」
「今日、行く?」
そうだ、早苗と大阪見物の約束をしていたのだった。
「行こか」
「うん」
ふすまを隔てた会話が続く。
きのうは、バンド仲間の細井修一と村中凛子、安田絵美の四人で宗右衛門町で飲んでいた。
最初はいつもの、お好み焼き「千房(ちぼう)」で始まって、二次会を宗右衛門町に繰り出すのだ。
途中から、ワンゲルの棚倉とか牧野とかも合流して、仲間から解放されたのが午前二時だった。
深夜映画館で時間をつぶそうと考えもしたが、早苗との約束を思い出し、なけなしの1万円札を使ってタクシーで帰ってきた。

帰っても、寝られず、マクルーハンなどを読めば眠気が襲うだろうと本を開き、ものの数分で睡魔に敗れた。
まどろみながら、昨晩の乱痴気騒ぎを脳裏によみがえらせていた。
村中凛子は胸の大きな子で、酒が入ると揉ませてくれるのだ。
しかし、それ以上は頑として許さなかった。
おれの手にあの柔らかな感触が残っている…
早苗にはないものだった。
早苗のふくらみは、ほんの少しであり、女として最低限の装備に見える。
安田絵美は今年、二回生になる後輩で、この子もめっぽう酒が強い。
まだ未成年のはずだが…まあええわい。
キーボード担当だけれど、そのうちボーカルを任せようと思っている。
伸びのあるいい声を持っているのだ。

件(くだん)の「千房」でお好みをぱくつきながら、
「ええっ、さとしぃ、留年?」
凛子がおおげさに声を上げる。
「声がでかいよ」「ごめぇん」「どうすんだよ」と、修一。
「なるようにしかならんよ」
おれは、そう言うしかなかった。
「ビッグチャンス(バンドの名前)はどうすんのさ」修一もコテでお好みを口に運びながら尋ねる。
「続けるよ。続けるにきまってるやろ」
おれはつっけんどんに答えた。

場所を変えて、音楽パブ「マーメイド」で、棚倉たちと合流するとまた、おれの同じ話で盛り上がる。
おれは、ほとほと難儀した。
保科先生を恨んだ…

で、目がさめたら朝の七時をまわっていたということだ。
「ねえ、お兄ちゃん、起きひんの?」隣の部屋から早苗が声をかけてきた。
「あ、ちょっと待って」
おれは暖かい布団を思い切ってめくり、勃起をそのままにズボンをはいた。
ファスナーを「テント」を倒しながら締める。
ちょっと厚手のワークシャツをひっかぶり、裾は出したままベルトを締めた。
「でけた」
独り言を言うと、財布をズボンのポケットに押し込んで廊下に出た。
「おっと、はだしやんけ」
戻って、たんすの引き出しから靴下を一足引き抜く。
「おい、さなえちゃん、降りるで」
「まってぇ」
障子の向こうに早苗の影が映る。
朝日が差し込んでいるのだろう。
「おまたせっ」
淡い黄色の春物のセーターに白のアディダスのウィンドブレーカーを羽織り、パンツスタイルで決めている。
「よそいきけ?似合ってるで」
「ありがと」

早苗を従えて階下に降りる。
「あんたら、早いねんな」と、オカン。
「ちょっとな、二人で出かけよと思って」
「ほうか、サトシはきんの(昨日)何時に帰ってきたんえ?」
「午前様や」
「あんたな、そんなことしてっさかい、留年すんね」
「うっさいな、飯にして、はよ」
「そこ座りなさい。早苗ちゃんも、さとしの真似してたら、あかんえ。静雄さんや花江さん(早苗の両親)に申し訳が立ちませんからね」
「はいっ」と、かしこまって早苗が返事をした。
おれは、急に尿意が高まって失敬してトイレに走った。

日曜の朝は菓子パンとみそ汁、インスタントコーヒーというけったいな取り合わせやった。
げっぷが上がってくる。
きんの、飲みすぎたバチや。

すがすがしい、朝の道を早苗と二人で駅に向かった。
(つづく)