「その手帳、借りていいかな。調べてやるよ」
そう言って私は、飯塚の手帳を律子から預かったのだった。

翌日、秀子が私の家にやってきた。
「お昼、冷麺っていうのはいかが?」
彼女は額に汗しながら、レジ袋をテーブルに置いた。
「いいね。お願いするよ」
「じゃ、今から作るね」「少し休めば?急がないから」
私は冷蔵庫から小川珈琲のアイスコーヒーパックを出して、グラスに二人分注いだ。
「牛乳を入れるとおいしいんだよ」
アイスカフェオレをつくってやり、リビングに座っている秀子のそばにお盆に載せて持っていく。

「ありがと。いただきます」
「あのさ、きみは三ノ宮によく行くんだよね」
「ええ、叔母がいますから」「そうだった。神戸女学院の高等部の先生だったね」
私は件(くだん)の手帳を鞄から出して、栞紐を挟んだ部分を開き、女の住所を見せた。
秀子の目がまるまると見開かれた。「あの、これ…」「やっぱり」
私の当て推量通りだった。
「叔母の住所ですが、どうしてここに?」
「私が探している男の手帳なんだ。でも君の苗字は角野だ。叔母さんは横山なんだね」
「それは、私の母の妹だからです。母の旧姓が横山なのよ。叔母は独身だから」
「なるほど。その叔母さんと、私の探している男がつながったわけだ」
「叔母には、付き合っている人がいます。最近つき合い出したように私が思っていただけで、ほんとは、ずっと前から深い仲だったみたいなの…」「やっぱりね」「戸田さん知ってるの?」
「この手帳の表紙を見てごらん」「2012年だわ。そんな昔から…」
「私が探している男は、この年の前の年に結婚している」「え?じゃあ不倫?」「そうだ」
秀子は黙ってしまった。

「叔母さんと、その男は今も会っているんだね」
「ええ、たぶん」
「君はあったことがあるの?」「ううん。でも写真を見たことがある。叔母のケータイで」
「ちょっと待って」
私は、本棚からアルバムを取り出し、飯塚幸生の写真を見せた。
「この男かい?」「あ、この人だ」
ダメ押しの確認が、当たった。もう決まりである。
飯塚は横山尚子という、角野秀子の叔母と不倫関係にある。
そして妻の律子の前から姿を消して、神戸三宮界隈に潜伏しているのだろう。

そのうえ、私は秀子に隠して、飯塚の妻律子と深い仲になっているのだ。
私は戦慄した。

秀子が、のろのろと立ち上がって台所に向かった。
「お昼、作るね」
ポツリとそう言っただけだった。

すべてが明らかになった暁には、私は誰に対して弁明するべきなのだろう?
私は悪くないと言い張るのか?
不可抗力だったと苦し紛れの弁明に走るのか?
恥ずかしくないのか?
飯塚よりも、律子よりも、私は卑怯ではなかったか?

秋、律子の妊娠がはっきりした。
私はうなだれて日下部先生の研究室の前に立っていた…

(おしまい)